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マゾヒズム文学の世界

谷崎潤一郎・沼正三を中心にマゾヒズム文学の世界を紹介します。

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目次


はじめに
マゾヒスト・谷崎潤一郎―真に理解しうる人々による真の理解を目指して

総論
日本のマゾヒズム文学の三大要素
スクビズム総論
苦痛と陵辱
愛情の一方通行
女の忘却
手段化法則と物化倒錯
生体家具の代替性と慈畜主義
セルヴェリズムとパジズム
トリオリズム総論
ミスター・ポストマン―マゾッホと谷崎のトリオリズム
白人崇拝論
明治人の仰ぎ見た西洋人
韓国崇拝論
ドミナの類型学
「思想小説」か「好色文学」か
谷崎潤一郎と沼正三の共通点と相違点

谷崎潤一郎序論
『創造』論~美男美女崇拝
『女人神聖』論~貴族の兄妹、奴隷の兄妹
『嘆きの門』論~華族様の恋

谷崎潤一郎のスクビズム
『少年』論~スクビズムの楽園
『富美子の足』論~やっぱり足が好き!
『捨てられる迄』論~堕ちていく快楽、委ねる快楽
『神童』『鬼の面』論~自慰と妄想の青春

谷崎潤一郎のトリオリズム
『饒太郎』論~新たなる快楽の扉

谷崎潤一郎全集全作品ミニレビュー
第一巻 <「象」「刺青」「麒麟」「少年」「幇間」「飆風」「秘密」「悪魔」「羹」「続悪魔」他>
第二巻 <「恋を知る頃」「熱風に吹かれて」「捨てられる迄」「春の海辺」「饒太郎」「金色の死」「お艶殺し」他>
第三巻 <「創造」「法成寺物語」「お才と巳之助」「獨探」「神童」「鬼の面」他>
第四巻 <「恐怖時代」「亡友」「人魚の嘆き」「魔術師」「既婚者と離婚者」「鶯姫」「異端者の悲しみ」他>
第五巻 <「女人神聖」「仮装会の後」「少年の脅迫」「前科者」「人面疽」「金と銀」「白昼鬼語」他>
第六巻 <「嘆きの門」「西湖の月」「富美子の足」「或る少年の怯れ」「秋風」「天鵞絨の夢」他>
第七巻 <「途上」「検閲官」「鮫人」「蘇東坡」「月の囁き」「鶴悷」「AとBの話」他>
第八巻「愛すればこそ」「青い花」「永遠の偶像」「彼女の夫」「お國と五平」「本牧夜話」「白狐の湯」「アヱ゛・マリア」他

谷崎潤一郎作品の二次創作
『悪魔』『続悪魔』の二次創作
『鶯姫』の二次創作
『無明と愛染』の二次創作
『神童』の二次創作

谷崎潤一郎小事典
谷崎潤一郎歳時記
谷崎潤一郎作品に出てくる作家・本
谷崎潤一郎作品に出てくる食べ物

沼正三のスクビズム
『手帖』第三章「愛の馬東西談」~アリストテレスの馬
『手帖』第一三八章「和洋ドミナ曼陀羅」~ドミナを選ばば曽野綾子
『手帖』第二八章「性的隷属の王侯たち」

沼正三の白人崇拝
沼正三の白人崇拝(1)―英伊混血女性との文通

『ある夢想家の手帖から』全章ミニレビュー
第1巻「金髪のドミナ」
第2巻「家畜への変身」
第3巻「おまる幻想」
第4巻「奴隷の歓喜」
第5巻「女性上位願望」
第6巻「黒女皇」

家畜人ヤプー図鑑
プキー

沼正三小事典
『ある夢想家の手帖から』に紹介されている文献
『ある夢想家の手帖から』に紹介されている映画
沼正三の谷崎潤一郎論

戦後の風俗小説
大和勇「金髪少女クララさま」「金髪パーティ」

外国文学
ドミナの言葉遣い―佐藤春夫訳「毛皮を著たヴィーナス」

ネット小説の感想
あらたなる神々の創生―キム・イルケ「韓日ヤプー秘史―国辱マゾヒスティックワンダーランド」感想

新和洋ドミナ曼荼羅
ギリシア神話の女神
ギリシア神話の美女
ヘブライ神話の美女
敗者のトラウマ~戦後日本のジャクリーン崇拝
アルペンスキーの美人選手
イスラエルのアイェレット・シャクド法務大臣の大イスラエル主義
韓国系アメリカ人写真家チョン・ユナの昭和天皇生首アート

その他創作物
文豪対話篇
天国の沼正三
青春の思い出
美男美女賛美論
続・美男美女賛美論
片瀬海岸物語
3月11日
マゾヒズムの階級的考察または生きづらい世の中を生き抜くために
続・マゾヒズムの階級的考察または生きづらい世の中を生き抜くために~白昼夢大作戦
女神キャロラインの降臨
・父の車で 1/3 2/3 3/3

H家の人々
プレイボーイクラブ
【詩集ノート】 ※常時追加

その他感想記事
Fetish★Fairyさん新作の感想
中村佑介表紙画の『谷崎潤一郎 マゾヒズム小説集』
月蝕歌劇団公演「沼正三/家畜人ヤプー」の感想
エムサイズさん「椅子になった勇者」の感想
マゾヒズムというドグマ―エムサイズ「超私立!女の子様学園」
「家畜人ヤプー」の二次創作

雑記
今後の編集方針について
HNの由来と作家:白野勝利氏
私のマゾ遍歴
倉田卓次元裁判官死去
伝説のネット批評家:kagamiさんのマゾヒズム論

掲載情報
「女神の愛」第3号
「女神の愛」第4号

※当ブログはもっぱら文学・芸術を扱っています。年齢等による閲覧制限は一切ありません。
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タグ : マゾヒズム小説 谷崎潤一郎 沼正三 家畜人ヤプー 白人崇拝

谷崎潤一郎全集全作品ミニレビュー 第八巻

谷崎潤一郎全集の全作品につき、ミニレビューをつけてご紹介しています。
使用している全集は、中央公論社昭和五十六年初版発行のものです。

マゾヒストにとって特に性的な刺激の強い作品については、チャートを設け、①スクビズム(下への願望)、②トリオリズム(三者関係)、③アルビニズム(白人崇拝)の三大要素につき、3点満点で、どれだけ刺激が強いかを表示します。また、その作品にどのような嗜好のマゾヒズムが登場するのかを、「属性」として表示します。

三大要素についてはこちらをご参照ください。



愛すればこそ
初出:大正十年十二月号「改造」、大正十一年一月号「中央公論」(続稿原題「堕落」)
形式:戯曲
時代設定:現代(大正期)
舞台設定
橋本家
ワ゛イオレツト・カフエエ
山田の家
登場人物
橋本澄子
山田
三好數馬
澄子の母:牧子
澄子の兄:圭之助
秀子
刑事

スクビズム☆☆☆
トリオリズム★☆☆
アルビニズム☆☆☆
属性恋人が第三者の男性に隷属し陵辱される(トリオリズムM第二形式)


1967年に「堕落する女」と改題され映画化された衝撃的な戯曲。
トリオリストの文豪である谷崎ですが、恋慕の対象となっている女性が第三者の男性に隷属し陵辱されることを悦ぶトリオリズムM第二形式に該当するめずらしい作品です。
名家の令嬢である澄子は芸術家志望の不良青年山田に夢中になり、周囲の反対を押し切って結婚し、日常的に暴力を振るう山田に精神的に隷属し、売春を強要されます。
澄子を一途に慕う三好數馬は澄子を救おうとしますが、澄子は山田の命令で數馬にも体を売り、それを山田から澄子の心を奪ったと勘違いした數馬(=善)に山田(=悪)が真相を告げ、悪が善に完全勝利します。
「愛情の一方通行」のせつなさ、惨めさが味わい深い作品。


或る罪の動機
初出:大正十一年一月号「改造」
形式:短編小説
時代設定:現代(大正期)
登場人物
博士
書生:中村
F探偵

犯罪小説。
恩人である博士を殺害した書生の動機の告白。
自分を善人だと思い込んでいる人間に対する憎悪が表明されており、白樺派を中心に大正時代をリードしたヒューマニズム文学に対するアンチテーゼの一つ。


奇怪な記録
初出:大正十一年一月号‐二月号「現代」
形式:短編小説(未完)
時代設定:現代
舞台設定
大傳馬町前の停留所(現在の中央区日本橋大伝馬町)
尾張町(現在の中央区銀座五丁目、六丁目付近)
登場人物
私(村上彌吉)
娘(光代)
伯母

未完に終わったミステリー。


蛇性の婬
初出:大正十一年二月号-四月号「鈴の音」
形式:映画台本
時代設定:平安時代あたり
舞台設定
紀伊の國三輪が崎(現在の和歌山県新宮市)
大和の國初瀬寺近く(現在の奈良県桜井市)
登場人物
あがたの眞女兒まなご
豊雄
眞女兒まなごの侍女
豊雄の妻:富子
富子の父
法海和尚
鞍馬寺の法師
當麻酒人たぎまのきびと

トーマス栗原こと栗原喜三郎が大正活映で監督した大正十年製作・公開映画の台本。
原作は上田秋成の「雨月物語」の一篇。


青い花
初出:大正十一年三月号「改造」
形式:短編小説
時代設定:現代(大正期)
舞台設定
尾張町(現在の中央区銀座五丁目、六丁目付近)
新橋駅
横浜山下町
登場人物
岡田
阿具里あぐり

スクビズム★☆☆
トリオリズム☆☆☆
アルビニズム☆☆☆
属性財布奴隷、幼*児退行


明らかに当時の谷崎の愛人で義妹のせい子を思わせる西洋風の少女・あぐりと買い物デートを楽しむだけのあっけない短編。
しかしその中に谷崎とせい子の関係がどのようなものであったかをうかがわせる記述がちりばめられています。

新しい、軽い衣裳を彼女に着けさせ、所謂いわゆる紅巾の沓を穿かせて、可愛い小鳥のように仕立てゝ、楽しい隠れ家を求めるべく汽車に載せて連れて行く。青々とした、見晴らしのいゝ海邊の突端のヱ゛ランダでもよし、木々の若葉がぎらぎらとガラス戸越しに眺められる温泉地の一室でもよし、又はちょいと気の付かない外國人町の幽暗なホテルでもいゝ。そこで遊びが始まるのだ、自分が始終夢に見て居る――たゞそのめにのみ生きて居る――面白い遊びが始まるのだ。……その時彼女は豹の如くに横はる、……くび飾と耳環を附けた豹の如くに横はる、……子供の時から飼い馴らした、主人の物好きをよく呑み込んだ豹ではあるが、その精悍と敏捷とは屢々しばしば主人を辟易さす。じゃれる、引ツ掻く、打つ、跳び上がる、……果てはずたずたに喰ひ裂いて骨の髄までしゃぶらうとする、……あゝその遊び!考えたゞけでも彼の魂はエクスタシーに惹き込まれる。彼は覺えず興奮の餘り身ぶるいする。


谷崎がせい子と出会ったのはせい子が十三歳のときです。
「子供の時から飼い馴らした、主人の物好きをよく呑み込んだ」せい子は相当に幼い頃から温泉旅館やホテルなど様々な「隠れ家」で「面白い遊び」を行い谷崎のマゾヒスティックな願望をかなえていたことがうかがえます。
あぐりにとって岡田は「財布」にすぎません。
このあたりも谷崎とせい子の関係の反映でしょう。

此の男は馬鹿々々しいほどあたしの愛に溺れて居たから、あたしが今ポツケツトからその金を出し、好きな物を買ひ好きな男と浮気をしても、あたしを恨む譯はないから、――あぐりは自分に云ひ譯しながら、ポツケツトから金を取り出す。たとひ化けて出て来たにしろ此の男なら恐ろしくはない、幽霊になつてもきつとあたしの云ふ事を聴くだらう。あたしの思ふ通りになるだらう。……
「(略)そら御覧、(と、そのスカートを捲くつて見せて)お前の好きな私の脚、――此の素晴らしい足を御覧、(略)あたしはまるで天使のやうに立派ぢゃなくつて?」


このように谷崎はあくまでも現実の女でもって願望をかなえ、その体験を作品にした究極の「実践派」です。
しかし、その崇拝の対象が「現実の女」なのかというと、それはこの時期の作品で繰り返し否定されています。
本作も短いながら以下の重要な記述があります。

彼はあぐりを愛しているのか?さう聞かれたら岡田は勿論「さうだ」と答える。が、あぐりと云うものを考える時、彼の頭の中は恰も手品師が好んで使ふ舞臺面のやうな、眞ツ黒な天鵞絨びろうどとばりを垂らした暗室となる。――そしてその暗室の中央に、裸體の女の大理石の像が立つて居る。その「女」が果たしてあぐりであるかどうかは分からないけれども、彼はそれをあぐりであると考へる。少なくとも、彼が愛して居るあぐりはその「女」でなければならない。――頭の中のその彫像でなければならない、――それが此の世に動き出して生きて居るのがあぐりである。


キプロス王ピュグマリオンが女神アフロディーテを似せて作った象牙の彫像に恋い焦がれ、アフロディーテがそれを憐れんで彫像を「此の世に動き出して生きて居る」ガラテイアにした。
ピュグマリオンはガラテイアを愛するが、その向こうには美のイデアたるアフロディーテがいる。
谷崎の愛した現実の美女は常にガラテイアであって、「此の世に動き出して生きて居る」偶像、人形であり、美のイデアの模倣にすぎません。
これをドミナとマゾヒストという人格と人格の恋愛物語としてとらえることは、谷崎自身が拒んでいるのです。
Jean-Léon_Gérôme,_Pygmalion_and_Galatea,_ca_1890
ジャン=レオン・ジェローム「ピグマリオンとガラテア」


永遠の偶像
初出:大正十一年三月号「新潮」
形式:戯曲
時代設定:現代(大正期)
舞台:植村のアトリエ(東京、田端あたり)
登場人物
植村一雄
一雄の弟:次郎
光子
光子の妹:八重子
渡邊
光子の姉・渡邊の妾:お絹

スクビズム★☆☆
トリオリズム☆☆☆
アルビニズム☆☆☆
属性調教、足


長女:お絹、次女:光子、三女:八重子の美女三姉妹がそれぞれ相場師の渡邊、芸術家の植村、植村の弟の次郎を夢中にさせ、嬲り、弄びます。
お絹と光子が「調教談義」に華を咲かせるくだりは何度読んでもゾクゾクします。

光子 さうよ、植村だつて私が可愛くつて仕様がないのよ、其のくらゐなら、絶対的に服従すればいゝんだけれど、……
お絹 あのくらゐ服従させてれば澤山ぢゃないか、光ちゃんの前ぢゃまるで頭が上がらないんだから、(略)
光子 姉さんだってさうぢゃないの、何を云はれたツて渡邊さんは小さくなって居るぢゃないの。さう云つちゃ悪いけれど、あの道楽者のおやぢをよくあれまでに仕込んだもんだ、姉さんの腕はえらいもんだつて、植村が感心していたわ。
お絹 ふん、さうかい、さう云ってたかい、――お前さんも追ひ追ひ仕込んでおやりよ。
光子 そりゃ私だつてちゃんと考へてるわ、もう大分仕込んでやつたの。


十五六歳の少年である次郎の、十四五歳の美少女である八重子に対する純粋な恋は、「恋を知る頃」の伸太郎を思わせます。
女学校を辞めて女優を目指し、家事を碌に手伝わず、花札が好きなませた八重子はやはり少女時代のせい子がモデルになっています。


彼女の夫
初出:大正十一年四月号「中央公論」
形式:戯曲
時代設定:現代(大正期)
舞台設定
東京
登場人物
黒田
黒田の妻:小夜子
瓜子
高村賛吉
河合

スクビズム★☆☆
トリオリズム★★☆
アルビニズム☆☆☆
属性財布奴隷、第三者とのデート代を支払わされる、年下カップルに愚弄される

夫の体を案じ一途に尽くす妻の小夜子には暴行を含む虐待を働き、美しい不良少女の瓜子の言うなりになるという、この時期の谷崎の私生活の状況をそのまま反映した作品群の一つですが、黒田が世話をしている若い作家:高村賛吉と瓜子が半ば公然と交際し、黒田を「財布」にしているシチュエーションがトリオリストとしてはたまらないです。

瓜子が黒田のデスクの上に腰かけて椅子に腰かけている黒田との物理的スクビズム関係をつくり、金時計を取り上げて、黒田には金作のために仕事を仕上げるように命じて高村とデートに出かける(おいてけぼりにする)ラストシーンが本当に美しいです。
瓜子 高村さんも音楽會へ行くつて云つて居たんだから、さうなれば私誘つて行くわ。――さあ、ぐづぐづしないで出して頂戴よ、(手を差し伸べる)ね、好い兒好い兒、ほんとうに好い兒、
(黒田、黙つて時計を彼女に渡す。)




お國と五平
初出:大正十一年六月号「中央公論」
形式:戯曲
時代設定:江戸時代
舞台設定
野州那須野が原(栃木県大田原市あたり)
登場人物
お國
五平
池田友之丞

スクビズム☆☆☆
トリオリズム★☆☆
アルビニズム☆☆☆
属性カップルに殺される

お國の夫:伊織を殺害し逃亡した池田友之丞に対する復讐を期して伊織の家臣の五平とお國が全国を旅するうち恋仲になり、ついに友之丞に復讐を果たして結ばれます。
しかしよく考えると五平がお國と結ばれることは伊織に対する不忠です。
不忠を犯しておきながら忠義を大義にして友之丞を誅殺するのは矛盾しています。
友之丞がその点を指摘すると、五平はそれを認めつつ、自己の利益のために友之丞を殺します。
人妻を慕って夫を殺した露骨な悪人の友之丞に、忠義を装って自らの幸せのために友之丞を殺す真の悪人(偽善者)である五平が勝利する。
やはり真の勝者は「悪」です。

さて、友之丞は広島から逃亡し、お國と五平はそれを追って旅に出るのですが、実は友之丞はお國を慕うあまり誅殺される危険を承知で虚無僧に変装して逆に二人を追っていきます。
自分の命を狙っているカップルをストーキングする旅路、一人だけど一人じゃないせつない旅路、トリオリストなら憧れますよね。


本牧夜話
初出:大正十一年七月号「改造」
形式:戯曲
時代設定:現代(大正期)
舞台設定:横浜本牧海岸
登場人物
初子(ミセス・ローワン)
初子の夫:セシル・ローワン
ジャネット
フレデリツキ
彌生(初子の異父妹)
アレキシフ

スクビズム★☆☆
トリオリズム★☆☆
アルビニズム★★★
属性白人崇拝、カップルの家事奴隷

大正十年九月、谷崎は小田原から外国人が多く住んでいた横浜市本牧宮原に転居し、憧れであった西洋的な生活を始めます。
ここで谷崎の西洋崇拝、白人崇拝は爆発し、この時期数多くの白人崇拝作品を生んでいます。
本作はその本牧を舞台にした戯曲。
ハーフの白人男性の妻となった卑屈な日本人の初子と、金髪碧眼の白人美女ジャネットとの対比が、非常に美しい作品。
初子のジャネットを象徴とする純粋白人を仰ぎ見る心地の表現が生々しい。

――ほんとにまあ、西洋人と云ふ者はどうしてあんなに奇麗なのかしら?色が抜けるように白くつて、姿がよくつて、――私なんか耻ずかしくて側へも寄れやしない。
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スーザン・ピーターズ


谷崎の西洋崇拝が人間の価値は外見の美醜によって決まるという「美尊醜卑」の価値基準に基づく当然の帰結であることがわかります。
初子は夫が自分を捨ててジャネットと結ばれた場合には女中として白人カップルに仕えることを望みます。

捨てられたら私、外に行く所はないんだしするから、臺所の隅にでも置いて貰つて、コツクにでもアマさんにでも使つて貰ふからいゝ。私なんぞにゃ其の方が相當してゐるんだから。


本作の中で人物たちは外見の美醜を主な基準にしたヒエラルキーを形成しています。
頂点にいるのはジャネット、次がハーフの美青年でニューヨークの富豪の息子であるセシル、次が不良ハーフのフレデリツキ、次が醜いハーフの彌生、次が純粋な日本人の初子、最下層が孤独な老人のアレキシフです。
恋愛感情はヒエラルキーの下から上にしか向かいません。
セシルとフレデリツキはジャネットを慕い、彌生はフレデリツキにまとわりつき、初子は一途にセシルに尽くし、アレキシフは初子に思いを寄せます。
終盤、彌生が濃硫酸をジャネットの顔にかけようとして、結局セシルと初子の顔にかかるという事件が起こります。
セシルと初子はヒエラルキーの最下層に転落し、ジャネットはセシルから次点の存在であったフレデリツキに乗り換えます。
セシルには初子だけが残り、同じ階層となった夫婦で仲良く暮らしました…とはなりません。
醜い姿になって捨てられてもセシルはジャネットを慕いつづけます。
谷崎作品において美醜のヒエラルキーは絶対である一方、人物の美醜が事故や経年によって変化したら、そのヒエラルキーはあっさりとひっくり返されるのです。


愛なき人々
初出:大正十二年一月号「改造」
形式:戯曲
時代設定:現代(大正期)
舞台設定:東京
登場人物
梅澤要次郎
小倉
お杉(梅沢の妻、後に小倉の妻)
玉枝(梅沢の後妻)

大正十年に谷崎が妻の千代を佐藤春夫に譲渡しようとした事件を題材にしてた戯曲。
本作では譲渡は実現しますが、関係者は凋落して破滅していきます。


白狐の湯
初出:大正十二年一月号「新潮」
形式:戯曲
時代設定:現代(大正期)
舞台設定:山奥の渓流のほとり

登場人物
角太郎
お小夜
お小夜の母

ローザ
召使の老婆
ミスタ・ケリー
巡査

スクビズム★★☆
トリオリズム★☆☆
アルビニズム★★★
属性待童願望、白人崇拝

「恋を知る頃」に描かれた性徴前の少年が若く美しい女性を仰ぎ見る待童願望パジズムと白人崇拝をミックスした美しすぎる戯曲。
奉公先の神戸で出会ったローザを慕うあまり「狐憑き」の状態になった角太郎の恍惚、現実のすべてを捨ててローザだけが「世界」となる角太郎の忘我の境地こそ、谷崎のマゾヒズムの理想ではないでしょうか。

……あれ、あれを御覧。……ローザさんがせつせと體を洗つてゐる。……あゝ、お湯の中に月があんなに射してゐるよ。湯壺がまるで水晶のやうに透き徹つて、……ローザさんの體ぢゅうが雪のやうに照つてゐるよ。雪ぢゃあない、銀だ。銀のやうに眩しくきらきら光つてるんだ。……あゝ、今髪の毛をさらさらとしごいてゐる。……あれ、あれを御覧、……ローザさんの髪の毛が、金色の髪の毛が、お湯の中で月に映つてゐるぢゃあないか。あんな綺麗なものが、……あれでも人間の髪の毛なんだよ、……(略)……お小夜ちゃん、あれを御覧よ、あの眞つ白な襟頸を御覧よ、あれでも人間の肌なんだよ。……


(彼女の前に跪き、白繻子の沓を穿いた足を自分の膝の上にのせ、又そのルビーに觸つて見る)あゝ、ほんたうだ、此れもルビーだ、まあ、何と云ふ可愛い綺麗な沓なんだらう。




アヱ゛・マリア
初出:大正十二年一月号「中央公論」
形式:中編小説
舞台設定:横浜山手
登場人物
「私」(ミスタ・エモリ)
早百合子
K
ニーナ
ミセス・W
ワシリー
ソフィア

スクビズム★★★
トリオリズム★☆☆
アルビニズム★★★
属性白人崇拝、奴隷願望、財布奴隷、靴磨き、足、恋人のいる女性に奉仕する、美少年崇拝、宗教的崇拝

「饒太郎」と並び、谷崎が自らのマゾヒズムの本質を語る最重要作。
本牧での体験を基に、亡命ロシア人の美女ニーナに対する一方的な恋慕、貧しいスラブ系難民の幼い姉弟に対する慈愛を装った崇拝を通して白人崇拝表現を爆発させています。
本作を読めば谷崎の西洋崇拝の本質が、西洋先進文明に対する憧れではなく、白人の「白い肌」の、その「白さ」に対する崇拝であることがはっきりとわかります。
白人美女ニーナを目の前にしたエモリの嘆賞です。

「すつきりとした體つきの、圓くムツチリ肉を盛り上げた肩から襟へかけての肌は、若い女の夏の肌だ」とそれだけ云へば十分である。そしてその両側にしなやかに垂れてゐる腕、腕と腕との間に挟まつて薔薇色の服の下からせツせと呼吸してゐる胸――小柄な私はそこに立ち塞がつてゐるその胸の中へ吸い込まれてゞも行くやうに感じて、自分の貧弱さがしみじみと悲しくなつて、人種と云ふものゝ餘りな相違に、不思議な恐れをさへ覚えながら、鼻をついて来る香水の匂を避けるやうに後退りする。……あゝ、その相違が身の丈だけの相違ならいゝのだけれど、……私の頤が彼女の肩のところにあると云ふだけの事ならいゝのだけど、……あの白い肌の中にある白い心は、此の褐色な肌の中にある褐色の心の戀からは、とても及ばぬ高い所にあるのではないだろうか?……
無題


私はお前の美しい白い體が、何處へ行つても茶色の顔と茶色の家とがうようよして居る日本の街に、斯うして次第にくすぶつて行くのを見るに堪へられなかつたのだ。


エモリはニーナに対する奉仕をせっせと実践していきます。

それは決して彼女の方から強ひたのではない、私が進んでさう云うお勤めをやらせて貰ふやうに望んだのは事實だ。
「やらせてくれと云ふのならそれは誠に有難い、篤志な事だ、ではやつて貰ひませう。」
さう云ふのが彼女の態度であつたし、それでも私には愉快だつた。一例を舉げると私は時々、彼女の汚れた白靴が廊下などへ置いてあると、先ず自分の靴を研いて、そのついでのやうにして彼女の靴へもクリームを塗つてやつた。彼女は最初は
「そんな事をするには及ばない、お前に済まない。」
と云つた。二度目には「ほんたうに気の毒だ、有難う」と云つた。三度目にはたゞ「有難う」になつた。そしてしまひには私がせつせと研いてゐる間、用もないのに自分は部屋へ閉ぢ籠つて知らない顔でゐるやうになつた。わざと私の眼につく場所へ汚れた靴が置いてあることもあつた。
「ミスタ・エモリ!私は今日忙しいからちょつと研いて置いておくれ。」
と、彼女の方から云ひつけるやうにさへなつた。その外毎日のやうに催促にやつて来る食料品屋、自動車屋、洋服屋、小間物屋などの借金取りに、居留守を喰はせて私が代りに言譯をすること。三度に一度は立て換えること。一緒に散歩に出て飯を食ふこと。活動寫眞を見ること。それらの勘定は私が拂ひながらやゝもすると彼女からも第三者からもガイドなみに扱はれること。


後半、ニーナを失ったエモリは、中流以下の西洋人が住むアパートに転居し、ソフィアとワシリーという貧しいスラブ系難民の幼い姉弟を崇拝対象にします。
映画スターのように華やかに着飾った瀟洒なニーナと違い、ぼろきれの様な服を着て風呂にも碌に入っていない貧しいソフィアとワシリーをエモリがあっさりとニーナに代わる崇拝対象に据えたことからも、谷崎の西洋崇拝の本質が西洋文明に憧れる貴族趣味ではなくてあくまでも人種的特徴である白い肉体に対する憧れであることがうかがえます。
白人であれば、肌が白ければ、それでいいのです。
話はエモリの幼少時代、マゾヒズムの目覚めに移っていきます。
幼少時代からエモリには崇拝する「対象」がありそれは人とは限りませんでした。
最初はなんと小さな白い角力の人形、白い南京鼠、蟻、小僧の足、尋常小学校に行くと級友の少年を牛若丸に見立て、十歳になってようやく二つか三つ年上の油屋の娘が崇拝対象になります。
エモリは言う。
彼の崇拝対象は一貫して「白」であり、角力の人形も、油屋の娘も、映画スターも、早百合子もニーナもソフィアもワシリーも、「白」の「一時の變形に過ぎない」。
では「白」とは何か?
「白」とは「私の生命が永久に焦れ慕つて已まないところの、或る一つの完全な美の標的」であるという。
つまり美のイデア、アフロディーテである。
やっぱり谷崎の崇拝対象はここに帰結します。
白人崇拝の端緒も語られています。
それは幼少期にクリスチャンであった祖父の家で見た聖母マリア像。
心の奥にしまい込まれた白人女性像に対する畏敬が、横浜移住で甦ります。

私が此の夏横濱へ引き移つて、朝夕西洋の女の顔を見るやうになつてから、幼い頃のマリアの像がいつか私の記憶の底に甦つてゐたであらうことを、誰が否定することが出来よう。ニーナや、ビーブ・ダニエルや、グロリア・スワンソンや、――私はその女たちの目鼻立ちに一つ一つマリアの俤を仄かに感じ、今も昔と同じやうな畏れを以て、及びも付かぬ高さにあるものを仰ぐやうに眺めてゐたのだ。そしてその気持は、――私は正直に白状するが、ソフィアを知るやうになつてから猶更強く溢れて来たのだ。
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グロリア・スワンソン


ニーナに対して上記のような奴隷的奉仕を実行したエモリが、「及びも付かぬ高さにあるものを仰ぐやう」な気持ちがニーナよりも「猶更強く溢れて来た」という少女ソフィアに対してどのように扱っていくのか、期待を膨らませたところで物語は終わります。

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