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マゾヒズム文学の世界

谷崎潤一郎・沼正三を中心にマゾヒズム文学の世界を紹介します。

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伝説のネット批評家:kagamiさんのマゾヒズム論

私がインターネットに初めて触れたのは、2002年ころだったと記憶しています。
その後今に至るまで、たくさんの、そして様々な尊敬すべきマゾ系の表現者に、刺激を受けてきました。
今回はその中でも、私が最も敬愛する表現者の一人で、多大な影響を受けた、kagamiさんをご紹介します。

とは言っても、ゼロ年代前半からインターネットを渉漁されていた方にとっては、記憶に残っている方かと思います。
2ちゃんねるにもkagamiさん専用のスレッドがあったくらいたくさんのファンとアンチを抱え、半ば神格化されていたネット批評家です。
kagamiさんは何度かサイトを変えています。

好き好きお兄ちゃんM!

ロリコンファル

ねこねこブログ

と推移しています。

「好き好きお兄ちゃんM!」と「ロリコンファル」は、PCゲームの批評をメインテーマとしながらも、まさしく森羅万象を語るサイトでした。
ゲーム、アニメ、映画、音楽、古今東西の文学、歴史、芸術、哲学、心理学、政治、経済、社会、科学…
あらゆるテーマについて、計り知れない大図書館のような知識を背景に、豊富な引用を用いながら論じていました。
しかしkagamiさんが当時のネット世界で神格化されていたのはそれだけが理由ではありません。
博学な方にありがちな、高みから冷静に論じる調子とは正反対の、強く、強く感情を込めた、狂気すら感じる空前絶後の独特な文章。
決して美文ではありませんが、人の生の感情を剥き出しにした圧倒的な力を持った文章が、人を引き付けてやまなかったからだと思います。

kagamiさんは性的にはマゾヒストを公言されていて、マゾヒズムに関する、とてもすぐれた評論を数多く書かれていらっしゃいました。
kagamiさんのマゾヒズムの中核となっていたのは、聖少女崇拝=ロリータ・マゾヒズムでした。
マゾヒズムとは「最も純粋なる期待状態」であり、「最も至高のものに己の意志で己の意志を委ねる究極の快感」であるとしたうえで、その「最も至高のもの」とは、「両性具有的/無性的」であって「プラトン的な完全」を体現した「偉大な子供たち」であるとします。
聖少女の奴隷となり聖少女に仕えることは、「真実に仕えること、善に仕えること、無垢に仕えること、そして何より、
美に仕えること」であり、それが「肉が穢れ魂が腐り果てた」「無力かつちっぽけな、塵芥の如き存在」である人間の生きる唯一の意味なのだと。
それによってのみ人間は「究極の、全身全霊を打ち震わす快感」「永遠の、究極の、至高の、快楽」に出会え、文明原理・男性原理の支配する「悪しき獄たる最低最悪の邪悪世界」から解放されて「人類史における新たなる高次到達」に至ることができると!

すばらしい。
これを読んで、「美尊醜卑」を根本哲学とする私自身のマゾヒズムと大いに通ずるものを感じて自分の分身を見つけたように感じ、またその心理をここまで明快に言葉で表している文章に初めて触れて、深い深い感銘を受けたのを覚えています。
外見の美醜と魂の清らかさ・穢さが一体であるという心身一元論にも通じるものを感じました。

kagamiさんはまた、白人種の少女の容姿を、「あらゆる美の頂点に君臨する至上究極至高の美」、「全てを超越する
永遠にして不滅の一瞬を齎す栄光の神聖美」「ひれ伏さずにはおれない神々しさ」として、白人崇拝マゾヒズムにも並々ならぬ情熱を示していらっしゃいました。

しかし私がkagamiさんの文章で最も敬服したのは、その谷崎潤一郎論です。
谷崎のマゾヒズム、白人崇拝、そして耽美主義(「美」至上主義)に対して、kagamiさんほど誠実に、常識や既存の解釈を排して原典に即して読み込み、自らの価値観やセクシャリティと照らし合わせる真のtext readingをされていた研究者は、文献上でもネット上でもいまだに見ることはできません。

kagamiさんはインターネット上のいわゆる「オタク」あるいは「サブカル」といわれる人達の間で有名になり、もてはやされたり、貶められたりしていたようですが、kagamiさんと、他のネット批評家と最も異なる点は、自分の博学を他者にひけらかすためには絶対に書かなかったし、心の底から理解できていないものに対して理解したふりを絶対にしなかったことですね。
kagamiさんの文章の中でkagamiさんの博学は、kagamiさんの強い感情の表現のためにのみ使われていました。
つまり、誰よりも誠実だったのです。

kagamiさんは2008年ごろからネット上でのトラブル、うつ病の悪化、生活の困窮をエントリーで訴えるようになり、HNを「ねこねこ」さんに変え、はてなダイアリーの「ロリコンファル」を閉じ、ライブドアブログの「ねこねこブログ」を開設されました。
うつ病との闘病の中でセクシャリティも変化したそうで、ねこねこブログではマゾヒズムを含めた性衝動に関することは書かれなくなり、メインコンテンツだった成人向けPCゲームの感想もなくなりました。
ねこねこブログでは扱うテーマや文体がそれまでとは大きく変化しましたが、内容のすばらしさは変わりませんでした。

現在もねこねこブログはたまに更新されていますが、ネット上でkagamiさんのことが語られることもほとんどなくなってしまったようです。
しかし、私がネット上で表現を始めるにあたり、kagamiさんから受けた多大な影響は、今も私の中に生き生きとして残っています。
再び現れることはないだろう、「知の巨人」とも言うべき偉大なネット批評家の存在を、伝説として記録と記憶にとどめたいと願っています。

現在閲覧できるお勧めの記事です。

バーチャルマゾヒズム概論
幼女ご主人さま論
マゾヒズム原論 -支配と服従の逆説-
男女と、生の寛容について -認識とマゾヒズムと美-
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ゲーム評「May Queen」 -運命の少女-
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白人崇拝論
永遠のアルビニズム
私にとってのロシア――テルミンを聴きながら
「永遠の恋」(ツルゲーネフ「はつ恋」の秀逸すぎる二次創作です。)

谷崎論
エロゲーマーと谷崎潤一郎 -愛情から遠く離れて-
審美の誠実、日本人が汚物であることを認めること -陰翳礼讃-
小説のイメージ -最強のイメージ作家-

父の車で 1/3

私は父の運転する車の助手席に乗っていた。
カーラジオは昼のニュースを伝えている。
内閣総理大臣は衆議院の解散を決断し、まもなく総選挙が行われるという。
が、総理大臣の名前になんとなく違和感を覚える。
ニュースはその後、今日のジャイアンツの先発予想は斎藤で、ドラゴンズは小松か今中だろうと伝えた。
これを聞いて私は、さてはこれは夢なのではないかと疑った。
しかし、私の胸は、まもなく訪れる陶酔への期待に、張り裂けそうになっていて、これが夢でもかまわないと思っていた。
おそらくそれは父も同じであったろう。

父はとある公園の前で車を停めた。
この公園のことはよく知っていた。
斜面に立地していて段差や階段が多く、全体が緑に覆われていて、かくれんぼをするのには絶好の公園だ。
そこそこの大きさのある市民公園である。
平日のためか、人気は少ない。
父と私は軍手をはめてゴミ袋を持ち、箒と塵取りを使ってせっせと公園の一角の掃除を始めた。
ちょうど段差の踊り場のようになっていて、藤棚とベンチと植栽がある、30㎡くらいのエリアである。
特段汚くはなかったが、それでも念入りに掃除をすれば、けっこう吸殻やゴミはあるものである。
ベンチは丁寧に拭いた。
母は綺麗好きで、掃除は念入りにするよう厳しく躾られた。
掃除の後は「綺麗にした証」として床を舐めることを習慣付けられていたので、最後にベンチや飛び石をペロペロ舐めた。
すっかり掃除を終えると、父と私は生い茂る植栽の影で服を全部脱いで全裸になり、藤棚の下のベンチの前に土下座して母を待った。
両手と顔面をしっかりと地面につけ、鼻で地面を掘るようにして顔面全体を土に埋め、強く押し付けた。
約束の時間の一時間以上前には、相手を迎える体勢で待機するというのが、母が教えてくれた礼儀だった。

「相手の見てる前でだけ土下座しようなんて、そんなの形だけの土下座じゃない?」という母の一言で、眼から鱗が落ちた父と私は、母がいない場所でも、母がいる方角に向かって土下座するのが習慣になってしまった。
離れた場所で、母は食事をしているだろうか、デートの最中だろうか、ぐっすり眠っているのだろうか、そう思うとき、母が目の前にいる時と同じように土下座すると、不思議と頭上に母を感じられた。
母が父と私をまったく忘れ去っている時間も、私と父は耐えず母を思慕し、母の足下に平伏しているときと同じ緊張を保つ。
これが本物の礼儀であり、たった一言で母は、父と私にそれを教えてくれたのだ。
母に会えなくなった今でも、私と父は一日に数回はいっしょに母が住む街の方に向かって土下座している。
母は父と私に土下座のやり方を細かくしつけたりはしなかった。
ただ、「形だけの土下座」を許さなかった。
母の前に土下座したとき、後頭部を踏んでくれたら土下座のまま待機、頭頂部を蹴ってくれたら手はついたまま、数㎝顔をあげ、命令を聞く姿勢の合図である。そこからさらに顔面を蹴ってもらえれば、立ち上がってよいという合図だ。
命じる用があるときにはすぐにこの合図(答礼)をかけてくれるのだが、そうでもないときにはなかなかいずれの合図もかけてくれない。
土下座が「不合格」ということだ。
母は単に答礼を忘れているのかもしれないし、気まぐれに省略したのかもしれないが、それは父と私が問題にすべきことではなかった。
あるとき母が「土下座がなってないときは何もしないから」と言ったこと(母は言ったことも忘れたかもしれないが)がすべてであり、答礼がない限りは礼を失した「形だけの土下座」をしているんだと猛烈に反省した。
父と私は母に対して相応しい土下座の仕方を追求した。
まず、母に答礼をしてもらおうとするのをやめた。
答礼をするかしないかは「母の世界」に属することで、父と私が考えたり望んだりしてはいけないことである。
そうではなくて、自分たちなりに母の恩義に対する感謝を土下座の形で精一杯示そうとおもった。
そう考えると、母が足を動かして自分の後頭部を踏んでくれない限り、どうやっても母の穿いているスリッパやサンダルよりも、自分の頭を下に置けないというのがどうにも無礼な感じがした。
本来なら自ら頭を相手の履き物の下に差し出すべきなのは明白だった。
そこで、せめて顔面をとにかく床や地面に強く押し付けることで、無礼を侘びようとおもった。
フローリングの床や舗装された地面の場合は、額と鼻骨がしっかり接地するまで顔を押し付けた。
絨毯や土の場合は、可能な限り顔面をめり込ませた。

父と私はその姿勢のまま母を待った。
あまりの期待感に動悸は高まりっぱなしだった。
このまま母がこなくても、一日中父とこうして母を思いながら土下座しているのも悪くないとおもった。
やがて人の足音が聞こえた。
懐かしい、母のサンダルの足音だ。
若い男性と楽しげに談笑する母の声は、何も変わっていなかった。
ペタペタという犬の足音も聞こえた。
どうしようもなく胸が高まった。
「そうそうそれでねー」
談笑したまま、父と私の頭頂部をサンダルの固い爪先で無造作に蹴ってくれた。
母のロングスカートの裾の、夏花のような、高貴な匂いとともに、懐かしい甘美な快感が頭頂部から脊髄に走った。
父と私は全裸だから、土下座の姿勢でも、その瞬間に二人が射精してしまったことは、上から見下ろして者からはまるわかりだったろう。
しかし、頭頂部を蹴ってくれたのはサーヴィスではなく、顔をあげろという合図である。
ただし、仰ぎ見ていいのは相手の膝から下までだ。
相手は全裸の自分たちの体を上から見下ろして、考えていることまで手に取るような分かるであろうに、自分たちは相手の体を畏れ多くて見上げることができない。
このスタンスも、「私は別にあなたたちが何を考えてるのか知りたくもないけど、知ってほしいんだったら、一目で分かるように、私の前では裸におなりなさいな。」
「私が何をしているか、何を考えてるかをあなたたちが知る必要があるかしら?それってすっごく不躾じゃない?あなたたちが知る必要があるのは私があなたたちに何をさせたいかだけでしょう?」
という言葉で母が父と私に教えてくれたものだ。
父と私は手をついたまま、ゆっくりと顔をあげた。
ストラップの白いサンダルを穿いた彫像のように美しい足、肌は白磁のように白く、これまた白地に淡い花柄のスカートの裾がふんわりと揺れて、懐かしい母の高貴な匂いが父と私の顔に降った。
母は自分が今なお、父と私を以前と同様に扱う権利を有する存在であることを父と私に思い知らせるには、足下を見せてやるだけで十分だということを心得ていた。
母の左には若い男性のシューズがあり、二人はベンチには腰かけず立っていた。
母の右には中型の犬が首輪をつけて座っていた。
父と私は改めて母の恋人に向かって地面に顔をめり込ませるあいさつをした。
「ねーしてあげてよ」
と、母が恋人に答礼を促してくれたが、母の恋人は父と私の頭を蹴るのをためらっているようだった。
「じゃーしてくれたら、(コショコショコショ)」
という囁きが聞こえた後、ゴム底のシューズの爪先が、父と私の頭頂部を蹴ってくれた。
「じゃー次はジョン」
という母の声によって、父と私は犬の方に向かって土下座した。
さすがに答礼はないかと思ったが、犬は父と私の頭の上を歩いてくれた。
「私の彼と友達には私にするのと同じ礼儀で接すること」というのは母がもっとも厳しく父と私にしつけた教えだったし、母の持ち物や身につけていた物に向かって土下座することもあったので、父と私にとっては、母の犬に土下座するのも踏まれるのも、まったく躊躇はなかった。

母は父より5歳若い。結婚前はモデルをしていたそうだが、結婚後もその美しさを保ち私を生んでしばらくしてからモデルに復帰した。
小さい頃から母は私に愛情を注がず、幼い私の世話はほとんどすべて父がしてくれた。
父は祖父の会社の役員として働きながら、母にはほとんど家事をさせず、すべて自分で引き受けた。
私も小さい頃から家事を手伝った。
父と私は朝早く起きて出来る限りの家事を済ませ、母のために朝食を作ってから眠っている母にあいさつをして会社と学校に行った。
母は朝食にはほとんど手をつけなかったが、たまーに一口二口食べてくれるのがうれしくて、毎朝作った。
母は昼頃に起き出して出かけ、だいたい夜遅くまで帰ってこなかった。
父と私は家事を済ませ、夕食を作ってどんなにおそくなっても先には食べず、風呂も絶対に母より先には入らなかった。
10時くらいになると二人で玄関に座って母を待った。
母が帰った気配がすると父と私はもううれしくてうれしくて、泣きそうになるのを我慢して母にあいさつをした。
家に帰ると母はだいたいすぐ風呂に入って寝室に行ってしまい、夕食もほとんどたべてくれなかったがたまにほんの少し食べてくれると、父も私もうれしくて、母の食べかけをデジカメにとったりした。
それを見た母は呆れて、歯磨きの泡をわざと床にたらして、「これも撮っておけば、残飯父子。」なんて言った。

続き

伊東美~1

父の車で 2/3

前を読む

母は次第に外泊が多くなり、たまに若い男性を家に連れてくるようになった。
父は母を車で恋人の家に送っていったり、母の恋人を車で迎えに行ったり、母と恋人のデートに父が運転手としてついていったりしていた。
一人家に残された私は、美しい母と素敵な恋人との華やかでロマンティックなデートに同行できる父がうらやましくてしかたなかった。
事実、父は母を送って帰ってくると、のぼせたような陶酔しきった顔をしていて、「母さん綺麗だったなぁ、彼氏もかっこよくて、夢みたいだった」なんて言ってまるで自分がデートしたかのようだった。

ある日母は、リビングのソファーに腰かけて、父と私を正座させた。
母は数時間そのまま、テレビを見たり雑誌に目を通したり、コーヒーを飲んだりしていた。
父と私は改めて母の美しさを見せつけられる思いだった。
その後母は雑誌に目を落としたまま言った。
「あなたたち、私が自由に恋愛すること、どう思う?」
父が答えた。
「もちろん全面的に協力するよ」
私も負けじと答えた。
「僕も母さんが若い男の人とデートしてるとうれしい」
「ふん、でもね、やっぱり私にとってはあなたたちがいること自体が私の恋愛の妨げになるの。男の人はどうしても既婚で子持ちだと敬遠するから」
「あなたたちがいなければ私はもっとモテるし、もっと自由にいろんなことができるし、例えばデートしてるときに、私はあなたたちのことなんか忘れて楽しんでいるけど、相手が「ご主人やお子さんはいいんですか」って、なんか気を使わせて悪いなーって」
「だから私、もう一回完全に自由になってやり直したいの。」
父と私はガクガク震え、むせび泣いた。
なんで泣いているのか、母に疎まれる悲しみ、捨てられる恐怖、そんなことよりも、自分たちが母の幸福の妨げになっていたことに対する申し訳なさがあふれでて、「ごめんなさい」とも「すいません」とも「許してください」とも言えずにただ泣きながら、母の足下の床に手と顔をつけた。
母はまた雑誌を見たり、友達と電話で話したりしてた後どこかへ言ってしまったが、父と私はその姿勢のまま泣き続けた。
そして気づくと、私はそのとき生まれて初めて性器に触れずに射精していた。
これが、父と私が初めて母の足下に土下座したときだったが、その後は、次の日の朝のあいさつから、土下座が父と私の、母に対する「基本姿勢」になった。

父と私の存在が、母の「完全な自由」の妨げになっている、これを父と私は「原罪」と名づけた。
母が父と私を捨てれば、原罪は将来に向かって贖われる。
母がそれをしないでくれていることは母の慈悲であり、恩寵である。
父と私が母の足下にまとわりつく限り、父と私は母に対して原罪の赦しを乞い続けなければならない。
これを姿勢で表すのが土下座であり、行動で表すのが母への服従・奉仕である。
原罪を意識すると、そこから父と私の母に対するたくさんの「罪」が見つかった。
土下座しても父と私の頭部を母の履物よりも下に、本来の位置にもっていくことができないのは「非礼」、本来はすべて母のために使われるべき父の給与や配当の一部を、父と私が生活費として使ってしまうのは「横領」ととらえた。
とてもとても贖いきれない原罪は、いずれ父と私が母に捨てられることで贖われなければならないことはわかっていながら、その日を一日でも延期しようと、母の慈悲にすがった。
父と私は母の命令には即座に完全に服従すること、全身全霊をもって母の生活と行動に奉仕することを誓った。

それからの日々は本当に夢のようだった。
母は父と私に話しかけずに用を命じた。
右の掌を踏みつけたら買い物、左の側頭部を蹴ったら送迎、といった具合に。
こうして母が父と私を完全にモノとして扱うことで、母の恋人や友達のなかには、父と私が部屋に平伏して侍っていても、気兼ねしない人がでてきた。
父と私が下に裸で平伏しているソファーやベッドで母が恋人と愛を営むこともあった。

一番楽しかったのはお使いゲームだ。
母は近所の一人暮らしの美大生と仲良くなった。
すごくさわやかでおしゃれでかっこいい人だった。
母の恋人はモデルや派手なお金持ちが多かったが、その彼は気まぐれでかわいがっていたみたいだった。
彼のほうは母に夢中で、ファンみたいな感じだった。
母はその彼に週に2、3回会っていたが、父と私は母の命令で毎日彼の部屋に行き、家事をした。
彼の部屋の合鍵をもらい、留守中でも入って食事を届け、丁寧に掃除をし、家で洗濯した衣類やシーツを届けて、汚れ物を持って帰った。
彼の工房は別にあったが、部屋の中も美大生らしく、いろんな画材が几帳面に整理しておいてあった。
そして、母が載った雑誌の切り抜きや、彼自身が描いた母の絵が貼ってあった。
母の恋人や友達に対する礼儀は母に対するものと同じだ。
彼の靴を磨く前には彼の靴に向かって、ベッドルームに入る前にはベッドに向かって、汚れ物を籠に入れる前には脱ぎ捨てられた一つ一つの下着類に向かって土下座をしたし、便器を磨く前にも同様だ。
その日の家事を丹念にできたかどうか、母に報告するために、彼に"サイン"をもらう必要があった。
"サイン"はタバコの火を押し付けた火傷の痕だった。
家事の出来栄えに対する満足度に応じて痕をつけてもらえた。
彼は父と私に用を言いつけては、チップを支払うような感覚でタバコを裸の体の適当なところに押し付け、"サイン"をしてくれた。
彼がタバコをポンポンとするのは、用を言いつける合図だった。
父と私にとっては、体中に"サイン"が増えていくのを母に見られるのが、何よりも嬉しいのだと彼も分かっていた。
父と私はそれぞれポケットベルをもって、そこには母からも、母の恋人や友達からも命令が入った。
ポケットベルに命令が入ったときはもう飛び上がるくらいうれしかったが、一番頻繁に命令をくれたのもその大学生の彼だった。
母と彼がたまに気まぐれに、電話やポケベルを使わずに私を使ってやりとりをしてくれるのがお使いゲームだった。
私が彼の部屋に食事や品物を届けると、彼がルーズリーフに1行か2行、母へのメッセージを書き、私はそれをダッシュで母の元に届け、母はそのルーズリーフに2、3行返事を書き、私はまたダッシュで彼の部屋に届ける…これを5往復くらいしたのが最初だった。
電話やポケベルをつかっても済むような話を、わざわざ私をつかってくれたのが本当にうれしかった。
もちろん、恋文の内容を読むなんて畏れ多いことができるはずもないが、自分が母の恋愛の「手段」になっていることが嬉しくてたまらなかった。
グラスに入ったワインを、母と彼が交互に一口づつ飲むのを、往復して届けたときもあったが、そのときはトレイに乗せたグラスからワインがこぼれないようにするのに必死だった。
あるとき、私を使った母と彼の恋文のやり取りが盛り上がって、母の番になってルーズリーフがいっぱいになったようだった。
私が届けたルーズリーフを受けとると、彼はしばらく考えている様子で黙っていたが、やがて足下に裸で平伏している私の頭頂部をポンと蹴り、「頼むわ」と言って、ハンガーに掛かったワイシャツを指差した。
私は慌ててアイロンを用意し、丁寧にワイシャツのしわを延ばす作業にかかった。
全裸なので、アイロンの温度を生々しく感じる。
彼は机に向かい、しばらくは壁に貼った母の写真や絵を眺めたり、時折視線を私の方へ向けているようだったが、やがてなにやら余念なく作業を始めた。
ペンを走らせる音に続いてチキチキチキとカッターの刃をずらす音。
しばらくして彼は独り言のように呟いた。
「俺さ、親いないんだ」
これから行われることがなんとなくわかった私は、ワイシャツをハンガーに掛けたあと、アイロンの温度を210℃にしたままスタンドに戻してテーブルの上に載せ、そのテーブルの下に平伏した。
やがて私の背中にボール紙のようなものが置かれ、続いて、タバコの"サイン"をもらっているときとは比べ物にならない激痛に襲われた。
ルーズリーフの最後に書かれた母のメッセージは、「続きはこの子に書きましょう」といった類のものだったのだろう。
私をルーズリーフの代わりにするのだが、その方法は彼に委ねた。
母を喜ばせるロマンティックなサプライズを考えるのが彼の役割だ。
タバコを押し付けた火傷をたくさん作って「点描」にすることも考えられたろうが、工房で作ったメッセージ入りのアクセサリーを母にプレゼントしていたりしていた彼が考えたのは、台紙に書いたメッセージを切り抜いて型をつくり、型の上からアイロンを押し付けて、メッセージの焼き印をする方法だった。
作業が終わると、彼は厚紙の端に何か走り書きをして私に渡した。
私はそれを抱えて猛ダッシュで家に帰って母に渡し、ソファーに腰かけた母の足下に裸で平伏した。
母は彼のサプライズに満足したことだろう、上機嫌で私の後頭部をスリッパでグリグリと踏みつけながら、厚紙にペンを走らせた。
書き終えると母は私の頭頂部をポンと蹴って、台紙をまた彼の元へ届けさせた。
彼は厚紙を受けとると机に向かって作業を始めたので、私はアイロンを加熱しようとすると、彼は「いやいや」と言って笑った。
彼は型を作り終えると私に渡し、また家に走らせた。
母の書いたメッセージは、母が焼くのだ。
期待で心臓が破裂しそうだった。
型を受けとると母は念のため、まず父の背中使って2回「試し焼き」をした。
(あるいはこれも、父の祈るような願望を感じとった母の慈悲なのかもしれない。)
その後私に「本番」の焼き印をした。
数日後、彼の誕生日に彼の部屋で、母と彼の共同作業によって私の背中に「仕上げ」の焼き印が押された。
母と彼は食後のコーヒーを楽しみながら、テーブルの下に平伏した私の背中と、彼が厚紙に書いた下書きを見比べて、あれこれデザインしているようだった。
背中に台紙の上からアイロンが押し付けられている数秒間、頭上に母と彼が唇を吸い合う甘酸っぱい音が聞こえ、激痛を忘れる思いがした。
例え自分の体に刻まれたものであっても、それは母と彼の交わしたメッセージであり、ルーズリーフの代わりである私が読むことなど畏れ多くて出来なかったが、父の背中に試し焼きされた母からのメッセージはどうしても目に入った。
「You're My Boy」
これを見て胸はキューンとときめいた。
この「Boy」が自分のことであったらどんなにかうれしいのに、自分の体に刻まれている「Boy」は、あの美しい青年なのだ。
ずーと後になって、鏡を合わせて背中のメッセージの全貌を見た。
彼からのメッセージは、
「I'm Your Boy」
それぞれメッセージの横に彼と母のイニシャルがあり、2つのイニシャルをかっこよく歪んだハートマークのリングが繋いでいた。
イニシャルとハートのデザインは、仕上げに押されたものだろう。
母にとっては、2つの「Boy」はもちろんどちらも、彼のことだ。
私は彼との記念を刻んだルーズリーフの代わりに過ぎない。
しかし、今では彼のメッセージの「I'm Your Boy」には、彼の芸術家らしいお洒落でアイロニックなダブルミーニングが込められているのではないかと思っている。

続き

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