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マゾヒズム文学の世界

谷崎潤一郎・沼正三を中心にマゾヒズム文学の世界を紹介します。

マゾヒスト・谷崎潤一郎―真に理解しうる人々による真の理解を目指して

男性マゾヒストとしてこの日本に生を受けた同士の皆さん、皆さんは、大変な幸運に恵まれています。
マゾヒストとして、もっとも偉大なマゾヒズムの文豪:谷崎潤一郎の全作品を、母国語で読むことができる。
この幸せを味わえるのは、日本人の中でも男性マゾヒストだけであり、世界のマゾヒストのなかでも日本人だけ、つまり私たちだけなのです。
谷崎潤一郎は、生涯一個のマゾヒストであり、そのほとんどの作品の主題は、男性が美しい女性の前に跪き、陵辱される正統派のマゾヒズムです。
そんな谷崎が、国語便覧でも、夏目漱石、森鴎外、芥川龍之介と並び称される近代日本の大文豪に数えられているというのは驚くべきことです。
谷崎作品は各国語に翻訳されて世界でも愛読され、存命中にはノーベル文学賞の候補にもなっています。
ドイツ・オーストリア文学史においてザッヘル・マゾッホが占めている地位とも、まったく比較にならない高いものです。
しかも、谷崎がこの地位を築いたのは、日本が封建的価値観を残したまま近代化に邁進し、官憲による表現規制も強かった明治・大正時代です。
いったいこの国のどこに、これほどのマゾヒズム文豪を生み、育て、その価値をここまで評価するほどの風俗的土壌があったのかと、不思議に思えるほどです。

谷崎がこれほどの評価を得ているのは、その世界観と文章がマゾヒスト以外の読者を魅了したからにほかなりませんが、谷崎作品を谷崎が意図したとおりに読むことができるのは、マゾヒストの読者だけです。
「谷崎の意図」とは、読んで、性的な興奮を惹起され、自慰行為を伴って性的な満足を得ることです。
谷崎作品を読んでこれができるのはマゾヒストの読者だけです。
谷崎は、第一は自分のため、そして第二には同士であるマゾヒストの読者のために書いたのです。

谷崎の文学の主題がマゾヒズムであるということは、ようやく広く知られるようになって来ましたが、それでもまだまだ谷崎の文学は誤解されてたまま語られていることが多いように感じます。
それは谷崎が、マゾヒストではない読者・研究者によってあまりに多く語られてしまっている一方、本来その文学を真に理解すべきマゾヒストの読者によってはあまり語られていないことに原因があると思います。
過去に男性マゾヒストであると公言した人で谷崎を本格的に論じた人は、沼正三だけです。
マゾヒストにはインテリが多く、読書家も多いのでしょうが、すごく残念なことです。
もっともっとマゾヒストが谷崎を読んで自慰にふけり、語り、論じ合って、谷崎文学の誤解を解いていってほしいと願っています。
当ブログを開設した最も大きな動機は、そこにあります。
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タグ : 谷崎潤一郎 マゾヒズム小説 白人崇拝 三者関係

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コメント

文豪谷崎の作品に、マゾヒスト的なところがあるのですね。谷崎のそういう作品はいくつかありますね。とても、丁重な文体で書かれ、たしかに、異常(マゾヒスト的というのでしょうか)があります。この文体の丁寧さも、異常な感じがしました。その時代のインテリ階級、上層階級の中で、こういう文体(文体というよりも、文章から匂いたつもの)があったのかな、と思ってたのですが、それがマゾヒスト的なものとおっしゃるのでしょうか。そういう見方はたしかにあるのだと思います。

連続的な投稿になるかもしれせんが

こんにちは、
「谷崎は、第一は自分のため、そして第二には同士であるマゾヒストの読者のために書いたのです」と明言されていますので、驚きました。

一、 谷崎はM男性の為に書いたとのことですが、M男性ならば気が付く筈だと思って書いたのでしょうか。或いは、気が付くか気が付かないかで、M男性を区分する意図があったのかもしれないとも思えます。如何でしょう。

二、  谷崎は、S系女性の読者は想定していたとお考えですか。S系女性の女性が読むことは想定していたとしても、彼女達の為に書いたわけではないのかもしれません。

著者は読者をどう想定?

白乃さま(白野さまではなかったのですね。大変失礼してしまいもうしわけありません)、

谷崎文学への考察は興味深いと思い、その考え方でいろいろ考えると興味深いと思いました。そういう切り口で考える批評家はあまりいなかったように思いますが、どうでしょう。そのような考えが頭に浮かんでも、抑制していたのでしょうか(出版界が応じないとか、または、ご自分の個人生活に悪影響が出るとか)。
出版は、ペンネームもありますが、ネットですと、匿名性がさらに高まり、自由闊達な議論が出ると面白いと思います。

ここでちょっと妄想ですが、いろいろな性的嗜好の人が自由に議論する、これは結構だと思います。最近はLGBTという括りばかり前面に出ていて、カテゴライズされステレオタイプ化されているかもしれませんが、それでも十分だと思います。そして、また、いろいろな政治的立場の人が互いに議論する、ちょっと危なそうですね。そして宗教的立場の人が互いに議論する。もっと危なそうです、性の問題に宗教が関わっていることがあるからです。また、いろいろな国の人が互いに活発に議論する。国のバックには統治機構、軍事機構がありますからねぇ。 それからそれから、いろいろな生き物が、闊達に議論するとどうなるのだろうと思いました。喰われる側の生き物、喰う側の生き物もいますから。研究材料に使われる生き物もいますね。そしてなんと道具たちも活発に話し出す。クツモ神の世界かもしれないですね。いやはんしんろんかな。精霊たちかな。
ここで思いましたが、物化したマゾヒスト(椅子や机という家具か、置物や花瓶なのか、便器なのか、また、家畜なのか、わかりませんが)は、黙っているだけなのでしょうか。いろいろ妄想しているのかもしれないですね。深夜に道具たち、動物たちがヒソヒソと会話する。道具や動物といってもそれは物化、畜化したマゾヒスト、その会話や妄想を文字化しているのが、マゾヒスト文学(?)かもしれないという面があると思いました。マゾでない側、崇拝される側から見れば、マゾヒストが何を感じているかは、視野の外ですから。
さて、私は、どちらの側から、そういった文学を読めばよいのでしょうか。また、かつて、どちらの立場から読んでいたのでしょうか。いままで何も気が付いていませんでした。
どちらの側で読むにしても、その向こう側を意識して読むだけでも興味深いですね。
白乃さまは、批評家として、とんでもないことを指摘し始めたのだと思いました。おそらく、いままで他の人は触れてすらいないです。いるかなぁ。発禁図書的な偉業ですね。

話を戻します。学校の先生は、生徒のレベルを考えて授業します。生徒の将来の希望や進路を考えて授業します。彫刻家は、ある彫刻家は、作品について、鑑賞者に任せてしまいます。美術館にくる愛好家だけを想定する作家も、公共空間に置くことを希望する作家もいます。文学者はどうなのでしょう。そこで、谷崎です。そして、沼正三です。
サド侯爵であったり、O嬢の物語であったり、です。
最近では、シャトールージュ(渡辺氏)かなと思います。渡辺氏は、普通の人も、引きづりこもうという意欲を持っているのでしょうか。正確には、普通に生活している人、自覚のない人も、引きづりこもうとしているのでしょうか。
それとも、ただ単に、普通の人の中にもそれはあるのだと、気が付かせようという啓蒙主義なのでしょうか。お医者様ですから、普通の人の中にもそれはある、というのは、素人の私としては、論理的に否定は困難です。否定しようとしても、すぐ論破されそうですから。
作者の意図を考えていたら、文学は読めませんね。どんな意図なのか、確認してからしか読めない、よく考えたら怖いですよ。私は、何も考えず読んで、すぐ忘れるようにしたいです。どんな文学にも、特に、強い文学には後遺症を伴うのだと思われます。

家畜人ヤプーという本があり、以前、大手書店で、平積みになっていました。沼正三フェアだったのか、どうだか覚えていません。平積みされていたので、「健全な本(?。。何が健全か、定義が難しいですし、このような定義をしようという試みが間違っているという考えもあるんでしょう)」と思ったですが、随分変わった本であると思いました。
三島由紀夫や、著名な方のコメントが数頁にわたり載っている、そういう本もありました。三島由紀夫氏は肯定的にコメントしているように見えました(素人の私には)。三島文学とは、屈折しているところは共通的かもしれませんが、説得力や共感させる力は、対象をきわめて選んでいると思います。
曽根綾子氏のコメントがありました。とても否定的でした。そもそも、全部読んだのかも分かりません。曽根先生から見て、とんでもない内容ではなかったかと思います。女性であり、かつ、キリスト者ですね。
著者である沼氏は読者として、誰を想定していたのだろうか、と思います。この人には、理解してほしい、そして支持してほしい、という思いもあるかもしれないし、こちらの人達には敵視されるはず、そうでなくては、という思いもあるかもしれないし、すくなくとも万人受けを狙ってはいない筈かと。 また、読者のことなどどうでもいいという書き手もいるかもしれませんから、沼氏もそういうことなのかもしれません。もちろん、出版したのですから、そうでもないのかもしれないのですが。
沼氏は、M男性向け、M的要素を内部に無自覚ながら秘めている男性を対象に書いたのかな、と想像してみました。女性は、S女性も含めて読者としては想定されていないと考えてみました。すると、女性を第一に考えるのではなくて、エゴマゾみたいになってくるように見えるのは皮肉な感じがします。それとも、私の話の積み上げ方がおかしいのかもしれませんが。

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