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マゾヒズム文学の世界

谷崎潤一郎・沼正三を中心にマゾヒズム文学の世界を紹介します。

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『ある夢想家の手帖から』全章ミニレビュー 第4巻「奴隷の歓喜」

沼正三の長大なエッセイ集『ある夢想家の手帖から』につき、全章をミニレビューをつけて紹介していきます。
入手できた挿画、関連する画像を合わせて掲載します。




第九六章
マゾッホのピカチズム
マゾッホ、そして谷崎の汚物愛好ピカチズムについて。
どちらも、正統派マゾヒストであり、その当然の帰結として汚物愛好者であったと断定します。
谷崎の場合は検閲が比較的寛容であったため、随所にその痕跡が残されているが、マゾッホの場合は検閲が厳しく、作品中にはその痕跡が見られない。
しかし、私書の中には「人間ビデ」とみられる記述もあることを紹介。
ここから類推して、「毛皮を着たヴェヌス」のクライマックスで、ワンダとギリシア人がセヴェリンを縛って鞭打って笑いこけた後、縄が解かれるまでの空白の時間、何が行われていたか、妄想を広げています。
縛られたセヴェリンの目前で二人は寝台で睦み合い、その後はさらに「悪魔的」な行為が行われたに違いないと…

第六九章
三者関係

三者関係=トリオリズムについて。
こちら↓をご参照ください。

トリオリズム総論

付記で紹介されている作品を抜粋します。

田沼醜男「赤い恐喝かつあげ
不良処女サリーは、アンドレ老人をたぶらかし、風呂場で奉仕させているところへ、ひものデレックを踏み込ませ、老人を叩きのめさせておいて、二人で楽しむのであるが、ベッドの前に畏まっている老人に向かって、「どう?あたしたちの恐いことが分かった?」というヒロインのことばは、「痴人の愛」のナオミの、「どう?あたしの恐ろしいことが分かった?」の見事な拡張である。


シャーリー・ジャクソン「おふくろの味」
料理と家事の名人ディビッド・ターナーはアパートの隣室のマーシャに惚れている。ある日ターナーがマーシャを自室に招き、自慢の料理で饗しようとしていると、マーシャの勤め先の男ジェームス・ハリス(ターナーとは初対面)がマーシャ部屋と信じて入ってくる。マーシャは自分の料理のような顔をしてハリスをもてなす。二人の交歓。ターナーはマーシャの暗黙の意思に従って隣室の男を演じ、二人を残して辞去させられる。マーシャの部屋の鍵を渡されたターナーは、自分のベッドで二人が寝る姿を想像しながら、マーシャの部屋の掃除を始める。


伏虎久作「Mモデルとその妻」
M夫婦が隣室のS夫婦に夫婦ぐるみで征服され酷使される。M夫婦の居室がS夫婦の便所になる。すなわち、M夫婦はS夫婦専用の便器を用意させられ、S夫婦は催すと、M家が食事中でも構わずやって来て用を足し、拭わせて帰る。


宇能鴻一郎「蜜に濡れた階段」
混血男性に魅せられて夫婦で前後から舌と口で奉仕する。


付記第六では、「変型的三者関係」として、優位の男女に劣位の女が奉仕する場合を考察。
占領期、駐留軍将校の日本妻として同棲し、口淫奉仕を仕込まれたあと、本国から白人妻が来日したために捨てられそうになると、白人妻への忠誠を誓って、メイドとして残してもらうよう哀願する日本女性が稀ではなかったと紹介。白人妻への口淫奉仕をもためらわず夫婦に奉仕する日本女性の心理には、白人種を一段高く見る気持ちと大和撫子らしい献身があり、日本人女性の奉仕を受け、その顔の前に平然と股を開く白人妻の心理には、ライバルとはなりえない存在であることの確認と、有色人種への蔑視がある、と見ています。

第九八章
人間ビデ
上位者カップルが愛し合ったあと、避妊のため、上位者男性の体液がたっぷりと注がれた女性器を啜って、舐めて洗浄する、すなわちビデ(女性用局部洗浄器)の代わりなるという願望。
人間便器が二者関係の下降の極限とすれば、人間ビデは三者関係の下降の極限である、とします。

沼自身は、「白人の夫婦の睦んでいるのを見ると、反射的に人間ビデ奉仕を連想せずにおられない」と告白しています。

追記にて、夏木青嵐の作品から二場面を紹介。

「係長エレジー」
「オレはさっきからもう長いこと、視覚も聴覚も全くふさがれた、温かいふかふかした暗黒の世界にいた。オレは、生まれたままの、一糸まとわぬ姿にされ、胴を四本の他人の脚で、前後から息も止まりそうなほど、がっしりと絡まれていた。」抱き合ったカップルの下半身に挟まれ、前戯として女性器に奉仕している場面。


「若奥様と男奴隷」
「河原は、開かれたままの啓子の下肢の間におのれの裸身を縮め、カエルのように這った。…河原は、ぶざまな裸の姿で、夫婦のむつみ合いの跡を生ぬるくすすり込んだ…」



第九九章
準三者関係
ドミナがマゾヒストをドミナの友人(あるいは恋人)の女性に譲り渡す、というもの。
忠誠が裏切られ、取引・処分の対象になることにマゾ的味わいを見出します。

付記ではマゾッホの未完原稿を紹介

「売られた夫」
オーストリア貴婦人の回想。金持ちで贅沢をさせてくれた夫リボスを裏切って、若く美しいトルコのパシャの恋人になり、共謀してリボスを奴隷制の残るトルコへ送る。ダマスカスのパシャの宮殿で奴隷として購入したリボスを鞭で嬲った上に、リボスをパシャへのプレゼントにしてしまう。



第一〇〇章
ドミナの女友達
「女主人の返事」シリーズ その三。
準三者関係と人間便器のマッチについて。
ドミナが催した客人に自分の便器を貸す。
自分と同格の友人や恋人に便器の共同使用を許す。
差し支えないはずです。
便器がドミナ専用であることを望んでいようが、関係ありません。
便器自らに使用主の選択権はまさかありえないのですから。
「便器らしく扱われた」ことによる幸福感は、このとき極まる、としています。

第一〇一章
米国兵の日本女性狩猟
白人男性によって日本女性を陵辱されることによって感じる特殊なトリオリズムM第二形式。
特に占領期の米国兵による日本人女性への陵辱に、強い性的興奮を示しています。
陵辱にはまず、RAA(国際親善慰安協会)と言う大規模な慰安施設を中心にした政策的なものがありました。
戦災でよるべを失った無垢の少女たちを、「自分の肉親や恋人を焼き殺し、家を焼き、国土を壊滅させた」米兵に愛玩品として差し出すという国策を政府・国民一丸となって推し進めたといいます。
さらには特権と圧倒的な武力を盾にした公然たる強姦。
しかし、これらにもまして喜ばしかったのは、日本人女性がその内心に潜む白人崇拝心理を目覚めさせ、自ら進んで米兵に身を委ね、精神的にも白人男性の魅力に心酔していったことであった…とします。

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横須賀に設置された慰安施設

第一〇二章
黄色はコキュの色
前章の心理を、トリオリズムM第三形式に拡張。
白人男性に陵辱された結果、白人男性の与える恍惚感を覚えてしまい、精神的にも白人男性に従属するようになった日本人女性と、日本人男性の関係はどうなるか。
白人崇拝に陥っている日本人女性は、白人の娼婦であることに誇りを持っているから、日本人男性を男性として評価しない。
このため関係を継続するためには、必然的に日本人男性は日本人女性に隷属しなければならない…というもの。
日本人男性にとっては「宝石箱」のような最高級の日本人女性の肉体が、白人男性にとっては性欲処理のための「便器」となってしまったら…それは、その女性に対する崇拝感情を少しも傷つけない、むしろ「便器」として扱われたことで、白人男性によってより高い、手の届かないところまで引き上げられたと感じる。
沼の白人に対する崇拝がいかに強く絶対的なものであるかを感じさせられます。

第一〇三章
日本人にふさわしいテクニック
日本人の白人崇拝を裏打ちする、白人の有色人種に対する蔑視について。
米兵が日本女性に性交よりも口淫奉仕を求めたことにもこの真理を見出します。

付記では、ドイツ人の家に食事に招かれたとき、「本当は、日本人には、椅子はないほうがふさわしいのだけど…」と言われて興奮した経験を告白。正座のほうが座りやすいと思い込んでいた夫人の発言なのですが、「お前は私たちの食事するテーブルの横で、床に正座しているのが本当なの。それが日本人にふさわしい坐り方なのよ」と言われたように聞こえたそうです。

さらに三原寛の作品を紹介。

「シチュエーション・ウォンテッド」
Situation Wantedは「求職広告」であるが、英会話個人教授の米人女子学生のStoolになるという主人公の「望みの地位」という意味もかねている。英会話を習うとき、「日本の風俗では先生の前ではキチンと坐ることになっているから」と申し出て、相手が椅子に腰掛けた前に正坐して教わる。やがて女子学生は主人公に便器奉仕をさせて自我の昂揚を得るまでになる。



第一〇四章
白人女性と有色人男性
白人女性と有色人男性が関係する場合も、性器への口淫奉仕がふさわしい、とします。

追記では、植民地における人種差別と性をめぐるを心理を暴いた西インド諸島出身の心理学者フランツ・ファノンを紹介。植民地における黒人の白人に対する絶望的な劣等感を報告し、白人女性が黒人男性と関係を持つことは「贈与」であり「恩恵」であるとしたファノン。彼は白人女性を妻にしており、自身の性生活はどんなであったろうか…と邪推しています。

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カミーユ・アラフィリプ作「サルを連れた婦人」

第一〇五章
わがドミナの便り
森下高茂を介して数回手紙を交わした英伊混血女性について。
この女性の存在が、「家畜人ヤプー」の執筆にも大きなインスピレーションを与えたが、結局直接会うことはかなわなかったんだとか。
でもこの手紙…全部森下高茂が書いてたとしたら…笑えますね。

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プリンセス・アレクサンドラ・オブ・ケント(英王室) この女性を偲ばせるとのこと。

第一〇六章
奴隷の喜び
もはや「神話」ともいうべき非常に有名なエピソード。
「白人崇拝」「汚物愛好」「犬願望」など、沼のマゾヒストとしての嗜好関心を決定付けたという「最初にして最大のドミナ」について。
従軍していた沼は南方で終戦を迎え、英軍の捕虜になります。
そこで、英軍司令官の若き夫人の召使を命じられ、夫人による鞭を用いたサディスティックな調教を受けます。
排泄物を口にしたり、人間ビデ奉仕もした…と。

沼はこの話は断じて創作ではなく、それは実録と創作を峻別して書いている「手帖」を読んできた人には信じてもらえると期待する、としていますが…
正直に言って私には到底信じられません。
終戦直後の状況は私の想像を絶するのでしょうが、この話は都合がよすぎる。
エピソ-ドのほとんどは創作だと思います。
そもそもこの「手帖」という書物全体が、虚実を織り交ぜた壮大な創作物だと思っています。
沼の頭の中にある広大な妄想世界。
それを小説にしたのが「家畜人ヤプー」で、エッセイの形式にしたのが「手帖」。
それだけの違いなんだと思います。

第一〇七章
熱帯性背徳
白人が熱帯地方の植民地において、現地民や輸入奴隷に対して発揮する性的快感を伴う特殊な残酷性(「熱帯性凶暴症トローペンコレル」)について。

付記では、白人の体臭について。司令官夫人はほとんど汗をかかず、その代わりにからだが匂うのだが、「白い体から放たれる香気」に陶酔し、恍惚となりながらその匂いを貪るように嗅いだ、と告白。

第一〇八章
白人天国・黒人地獄
司令官夫人の出身地・南アフリカ共和国の徹底的な人種差別政策について。

第一〇九章
奴隷貿易
奴隷貿易における黒人奴隷に対する家畜的な扱いについて。

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第一一〇章
白人の黒奴観(『黒い象牙』)
白人の書いた奴隷貿易を扱った小説を紹介し、白人の内心に潜む黒人蔑視を考察。

第一一一章
今でも黒奴は売られている
二〇世紀初頭および一九五〇年代の奴隷売買について。


第一一二章
植民地生まれの女性
植民地に生まれ、周りの現地民や黒人たちを玩具にして育った白人女性=クレオリンの驕慢と残虐性について。

「女教師ブラジル日記」
一九世紀後半のブラジルの農場に赴任したドイツ人女性家庭教師の報告。
黒人奴隷による人間馬が登場。
「ここに到着した日、出迎えた黒人(男)と現地人(女)が彼女附きの召使となった挨拶に、床に這って左右から彼女の靴に接吻したので驚いた時、奥様が「靴墨は彼らにとってはミッテルなお」と言い放った」



付記では、日本がスペイン、ポルトガルの植民地となった歴史妄想。南米同様人間馬などの植民地的風俗の上に日本生まれのクレオリンが君臨する有様を描きます。

さらに、司令官宅勤務の折、客人の白人の四つか五つの男の子の馬として乗り回された体験を回想。

この時のは、「馬になった」のではなく「馬にされた」のであり、子守りとはいっても乗り手の子供が保護の対象というより、途中からはむしろ支配者と意識された(向うの子供にもその意識があったと思う。)…私が…属領妄想に際し、白人成年への犬奉仕と並んで児童への馬奉仕を欠かさぬようになったのは、この時の体験からであろうと思う。私は今でも、四、五歳から七、八歳までの青い目の少年少女を見ると、日本人児童よりずっと可愛く、美しく感じ、彼らに子守りとして奉仕し、お馬になって喜ばせたい衝動を覚える。
無題



また、「靴墨は薬よ」という言葉について。

白人にとってはアフリカの故郷で自由に暮らしていた黒人の心身は、奥様にとっては病的状態なのであり、隷従に慣らされた卑屈な心理こそ黒人にふさわしい健全なあるべき姿なのである。さこにショック療法として、新入りの黒奴に靴を舐めさせる治療法が成立する。



第一一三章
有色人種の白人観
一九世紀後半におけるアフリカの一部族による人間馬の風習の報告のなかに、人間馬を使用していた女王が白人混血ムラッティンであったことに注目。
黒人は内心において白人の優位を承認しており、畏怖し、尊敬していると指摘します。
混血の女王の人間馬は、白人女性―たとえデパートの売り子でも―を肩に跨らせる使役には、よりいっそうの光栄を感じなっかっただろうか、と。

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黒人ばかりでなく、インディオも、東洋人も、白人を優越視している。
植民地化されていない日本や中国やタイにおいても。
なぜか。

日本においては、有史以前に日本が丈高く肌白く鼻の隆い北方騎馬民族の植民地だったのではないか。
だから奴隷化された有色人種の本能として、白い肉体の持ち主に対する崇敬の感情を持っているのではあるまいか。
ユーラシア全体においては、ヤスパースの「枢軸時代」以来の印欧系騎馬民族の波状的征服によって、より肌の白い北方種族の肉体への憧憬が成立していったのではないか…と。

いやはや、さらに超科学的な説明が続きます。
過去でないとしたら、未来のある時点において、白人種による日本人の征服(家畜化)が完成する。
だから、民族的な未来の予見として、昔から今に至るまで肌白き肉体にコンプレックスを抱き続けているのではないか…など。

第一一四章
黄色人虐待ショウ(『美国横断鉄路』)
米国における中国人鉄道敷設労働者に対する虐待。
残虐極まりない虐待がショーとして白人の酒興に供されます。

第一一五章
グックへの烙印
太平洋戦争、日本占領、朝鮮戦争、ベトナム戦争に共通する米国・米兵の黄色人種(グック)に対する蔑視とそれに基づく残虐行為について。
ナパーム弾により「全身の皮膚がただれてベロベロに剥けた姿の実写は、私の胸をうずかせた」とあります。
おそらく焼夷弾や原爆により逃げ惑う同胞が焼き殺された姿にはより強く、胸をときめかせていたことでしょう。

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ナパーム弾の被害。1972年サイゴン郊外。ピューリツア賞受賞写真

第一一六章
生体実験
米軍が朝鮮において行ったと報告された生体実験について。

第一一七章
羞恥心の剥奪
ナチスの強制収容所における残虐行為について。

第一一八章
苦痛より陵辱を
狭義のマゾヒズム=真性マゾヒズムとは、精神的な陵辱に快感を覚えるものであり、肉体的受苦に重点を置くアルゴグラニアとは区別すべきである、とします。

第一一九章
手段化法則
では、精神的陵辱とはどのようなものかを考察。
憎悪の対象として虐待されるのは、精神的陵辱にはならないとします。
より強いマゾ的昂奮を惹起するのは、対象に、何かの目的のための手段として扱われることだとします。
カントが説いた「人格を持った人間を、常に目的として取り扱い、手段としてのみ取り扱わないようにしろ」という原理の真逆に扱われる、これによってまさに人格を否定され、「物」として一方的に利用される、それがマゾヒストの感興を惹く、とします。
そして、「手段化を受けたいと望む者のみが、狭義のマゾヒストの名に値するのである」としています。

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